キャリア戦略、というとオーバーだけど、どういう技術者になりたいか。

どんな技術者を目指すか、を考えた。

正確には、何人かの人との会話の中で、自分の立ち位置や、考えられるキャリアパスを意識することができたからだ。

将来どっちに向かっていくか、残りの時間で何するか、忘れがちだけど意識しないといけないと思う。

 

話はそれたけど、まず、自分がやりたいことと、どんな仕事をやるようになるかは

よほどラッキーか、よほどそうなるよう仕掛けないと一致しない。

せきの場合は、そもそも地方給水やりたかったんだよね。

ただ、地方給水のプロジェクトはあまりない。地方は経済効率的に後回しになりやすい事情もあり、建設コンサルの立場からはなかなか打席が回ってこないのだ。

 

今の会社を当分辞めることはないし、将来携わることを目標として取っておく。

そして、自分の立ち位置だが、現在河川計画系では国内最強の会社にいる。

ここで学べば技術的にもブランド的にも、食いっぱぐれはしないだろう。

まずはメジャーで仕事に困らない分野の腕を磨いておくのは、リスクヘッジとして安パイだ。

 

そして、その後利水、上水分野の部室へ移動できるよう働きかけていく。

河川ができれば食い扶持は確保でき、少ないチャンスをものにできるよう

手を挙げられる位置の仕事もできるようにしていく。

 

会社が大きいというのは、強引な異動の可能性が少ないし、希望をだせば一人くらいの融通を聞かせる余裕もあるという点でよいことだ。

 

環境分野とかも、できますと言っておくといいかもね。やれと言われたらその時勉強すればよい(これは楽観ではない事実)。

 

環境に配慮、つまり後々の影響に関しても考慮した仕事というのは、どの分野でも欠かせない視点。それは環境分野の最も強いところ。

環境はかなりすそ野が広く、稼ぎとしては弱い(現在は)。でも欠かしてはいけないところだから、意識はしておく。

そんな感じ、もちろんイレギュラーの可能性もあるけど、今はこんな将来像で、やることを決めてこうと思う。

 

勉強することが山というか山脈のごとくあるね。

 

大学卒業後、海外の仕事をする人としない人の違い。

 

「学生時代に国際協力とか言ってたやつが、結局社会人になると関係ない仕事に普通に就く」と不満気味にいう友達がいた。

 

そういう彼も、海外の途上国と関わるこの仕事に、個人的な期待や恩恵が得られることも決めてなのだけれど、確かに、彼自身開発コンサルタントの仕事に彼なりの一貫性を持っていた。彼の途上国の人のために何かしたい、という動機は純粋に本物なのだと思う。

 

冒頭の彼の言葉を聞いて、私はああ、そうだなと思った。

私も大学では、国際開発研究会なる意識高そうな(実はそうでもない)サークルに参加していた。ほぼみんな、関係ない仕事とか進路に行っているようだ。

先輩にしても、地方の公務員になったり、真逆のシャンパンデベロップメントよろしくなゴージャス志向に変身した人もいる。

 

なぜなのか考えてみると、

・海外の問題は、自分毎になりにくい。より身近な環境で取捨選択する

・生まれ育った日本がなにより安心

・関心を持った問題が、規模が大きかったり根が深すぎたりして、無力感を感じてしまう

・深刻に考えすぎて、自己矛盾や周囲との問題意識の差に気を病んでしまう

といったパターンが主なんじゃないかと思う。

もしくは、就活時期に自己分析しすぎて、少年時代を引きずった指向で就活するせいかな?

 

では入った会社の新入社員に聞く、開発コンサルになった理由はどんなものだったかというと、

・実際に途上国での体験が強く心に残っており、行動(業界の選択)につながった

というタイプと、もう一つ面白いのが

・途上国のコトそこまで深く考えてないけど、専門分野を生かせる仕事として決めた

というタイプの2種類だった。

 

JICAの人と飲んだ時には、前者の”強烈な途上国への思い出”をもっていた。

海外へ飛び出すには、快適だし味方も思い出も多い海外への思い入れが必要ってことなんじゃないかと思う。

 

まだ入ったばかりで、継続性としてはどっちのほうがいいんだろうか興味がわいた。

 

そして、卒業後も海外で仕事をするかという選択において、中途半端なサークルの集まりは意味をなさないのかもね。(遠い目)

まあ、やってみないと分からない仕事だから、あんまり考えすぎないで飛び込んでみたらいいと思うけれど

 

憤っていた自分を思い出した。

沙漠化問題がマイテーマだと思っていた僕ですが、水を有効に使うという広い分野の仕事就きました。

 

その踏ん切りをどこで付けたのか、というのは、たぶん自分がどういう思考と行動をとる人間なのかが現れるところなんだろう。

よく何で?と聞かれるのはそういう理由だと思う。

 

そのきっかけを忘れていた(笑)

忘れるくらいなら本気じゃないんだろう、と言われたら

うるせー違うんだと返すしかない。ほんとだよ。論理的に言えないけど。

 

思い出したきっかけ、

それは、水の危機が迫っているよ、という話。

人類が利用可能な水のうち、現在の世界では、地中深くに眠る地下水をどんどん使っている。それはよく解明できていないのだけど、ほぼ間違いなくその水は有限で、その水が尽きたらこれまでどおりの食糧生産はできなくなる。

地下水に限らず、世界中で水にまつわる紛争が起きようとしている。

そんな話を、本や論文や先生から聞くなどして、どうやらほんとらしい、これはまずいのでないかと危機感を感じたのがきっかけだった。

 

沙漠化問題よりもっと早い時期、環境問題に興味をもったとき、どんな感情が沸き上がったか。

それは、感情うとしては「憤り」だった。

農薬や化学物質等を、それらが持つ環境への害を無知なまま使い続け、取り返しのつかない公害が起きてきたという話。

なんてバカというか愚かなことしてくれてんだ人間。という憤りが、自分を知らない少年の心に宿ったのでした。

そのときから、僕の心に現れた敵は、「身勝手な、向こう見ずな行動で、取り返しのつかない罪を犯すこと」だったのだ。

 

だけど僕も愚かな人間。 そんなことはすぐに忘れて、流されたり、優柔不断でフラフラしたり。

だけどだけど、思い出した。

「公害の歴史のように、将来やってくることがわかっている危機を、何もせず迎えてしまうのは許せない。なんとか貢献したい。」

と思ったのだった。

忘れていたけど(笑)

 

温暖化もそうね。なんとかしないといけないの分ってて、何もしない。 

遠すぎて関わろうともしない。 砂漠化と同じね。

 

だけどそれじゃだめだ。なんどもなんども奮い立たせて、

自分が一番嫌いな過ちを犯さないようにしないとな、と思う。

 

これを書きながら、他にも憤った思い出が出てきた・・・

力に変えよう。

 

建設コンサルタントになりたくない?

 (この記事、自分にできるのは自分の話(建設コンサルと個人的な就活論)だけで、「建設業一般」について語っているわけではありません。あしからず)

 

建設業の人手不足が深刻らしい。

私の属する建設コンサルタントも含まれる。

 

記事などはその原因を、いわゆる3K業界であるとか、

会社の知名度が低いことに求めてきた。

しかし、最近の記事では、建設業に就いている当事者の意識調査の結果、

就職先として「建設業はいいぞー」と勧める人が全然多くないことが分かったそうだ。

 

私はまだ始まったばかりだから、繁忙期の恐ろしさとか、鬼のような上司とか、

そういう業界あるあるをまだ体験せずいることもあるけど、

この仕事そんなに悪いものじゃないはずだ、と思っている。

 

就活の段階で、インターンをやっておけば(ワンデーは除いて)、職場の雰囲気とか人間関係とかなんとなくつかめるはずだ。

会社でやや違いはあるものの、理系・技術屋さんの集まりなので、過剰なコミュ力やサービス精神はいらない傾向はあって、シャイな理系ボーイズにはなじみやすいと思っている。

ダムや橋などの構造物や技術が好きな人、理系な人は専門技術にもどっぷり漬かれる魅力はある。

 

過重労働とかハラスメントの対策を、完全にではなくても改善しよう姿勢が見えるのであれば、ある程度受け入れなければならない。あとはわがままというか、ないものねだりをしているようにしか思えない。

会社のストレスやそれに対する文句は、どんな業界に行ってもあるもの。それを業界が悪い、建設業はダメだ~なんていう人は、なんの仕事してもそういう人だろう。

 

この仕事の魅力というのは、なにより、まだ世の中にないもの、地図に載っていないものを作り、それが後の時代まで残る、そして多くの人の生活に良い影響を与える(はず)仕事だと言えるのは、なかなかのロマンがある。そんな仕事は、そうそうない。

 

非効率的で地味な作業や理不尽なこともあるかもしれないけれど、しんどい時にはやりがい・原点を思い出して、楽しんでできる仕事だと思う。

 

要するに、そんな悪くないよ、と伝えたい。(まとめたら一言だったw)

 

開発コンサルタントに、なる予定です

大学を卒業し、開発コンサルタントという職種の企業に入社しました。

 

簡単に言うと、発展途上国の開発を専門的に手助けする、という仕事です。

 

開発コンサルタントには、ハード系とソフト系という区分けがあり、

ハード系は主にインフラ、川とか道路とか橋、水道、鉄道などを専門的に

ソフト系はコミュニティ開発や農村開発といった人の組織づくりを専門的に

取り扱う、といったものです。

 

私はというと、ハード系、水資源の計画に関わっていきます。

(会社の人事にもよりますが、当面は)

 

沙漠化問題になにか貢献したい、そのなにかを見つけるために大学に入りました。

これからは、沙漠化にも重要な、水をどう使うか?という

より広く不可欠な課題に貢献する仕事、と思っています。

 

入社しただけで、これから4年間の国内修行を経て、海外の舞台に立ちます。

切符を手にしただけ、まだまだ始められてない。

まだまだ、これから、です。この4年間に、今後の人生がかかってる。くらいの気持ちで行きます。

がんばるぞい。

 

 

 

鳥取に移住して家庭菜園はじめた話。

鳥取に来たら畑をするぞ!

というのが鳥取での野望その1でした。

 

将来的に農業も仕事になるよね、という可能性もあったし、自然を楽しみたいよね、という都会から田舎への移住者らしい気持ちもありましたので。

そして、前職が契約農家と取引のあるレストランだったため、農家さんへ訪問して話をしたり、畑仕事をしたり、野菜をかじったりしていたので、自分でもやってみたら絶対楽しい、という自信もありました。

 

東京でも、市民農園を借りられないかググってみましたが、野菜ブームや農業ブームもあったため、何倍もの競争率で、あきらめてました。

鳥取来たらあるだろ。と思っていたら、ありました。

市民農園は毎年空きがありますし、耕作放棄地もそこらじゅうに。

 

最初は市民農場のひと区画を借りてやりました。分からないながらも、

妻とふたりで、わいわいひーひー言いながら開拓するのは、楽しかったです。

これはぜひ、お勧めしたい週末の過ごし方です!

 

そのうち、家庭菜園のおじいさんおばあさんとも顔見知りになり、苗を分けてもらったり、育て方や料理方法を教えてもらったり。

鳥取弁の温かみのある語尾に穏やかな人柄が滲むようなおばあさんたちとのおしゃべりを、楽しいと妻は言っています。

 

最初妻の人間関係が、仕事場の同僚の方たちだけで、
それが移住者としてはストレスではありました。知り合いが少ないと、プライベートに充実感が持てないためです。

畑でのコミュニティというのも、そんな日常に温かさと自然とのふれあいという癒しを差し入れてくれたと思います。

 

また若い人が珍しいので、声かけてもらい、いまでは最初の数倍の広さの畑を個人的に貸してもらってます。(広すぎて使いこなせていないほどの広さですが。)

初めて収穫したジャガイモのうまかったこと、いまでもよく覚えています。

愉しみながら、健康的で実益も兼ねている趣味、やっぱいいですね。

 

最近は、農学部と地域ボランティア団体の関連から、

高齢化により離農するから、果樹園やりたい方探しています」

といった話がたまに来ます。それにも、もう驚かなくなりました。

 

農業は天候に左右されるリスクとか、経営面などけして容易い仕事ではないですが、

ライフスタイルもデザインできるし、可能性も多い気がしています。

私は他にやりたい仕事があるので趣味にしてますが、畑は楽しいですよ。

農・林・漁・畜産業には元気であり続けてほしいと願ってる今日この頃です。