憤っていた自分を思い出した。

沙漠化問題がマイテーマだと思っていた僕ですが、水を有効に使うという広い分野の仕事就きました。

 

その踏ん切りをどこで付けたのか、というのは、たぶん自分がどういう思考と行動をとる人間なのかが現れるところなんだろう。

よく何で?と聞かれるのはそういう理由だと思う。

 

そのきっかけを忘れていた(笑)

忘れるくらいなら本気じゃないんだろう、と言われたら

うるせー違うんだと返すしかない。ほんとだよ。論理的に言えないけど。

 

思い出したきっかけ、

それは、水の危機が迫っているよ、という話。

人類が利用可能な水のうち、現在の世界では、地中深くに眠る地下水をどんどん使っている。それはよく解明できていないのだけど、ほぼ間違いなくその水は有限で、その水が尽きたらこれまでどおりの食糧生産はできなくなる。

地下水に限らず、世界中で水にまつわる紛争が起きようとしている。

そんな話を、本や論文や先生から聞くなどして、どうやらほんとらしい、これはまずいのでないかと危機感を感じたのがきっかけだった。

 

沙漠化問題よりもっと早い時期、環境問題に興味をもったとき、どんな感情が沸き上がったか。

それは、感情うとしては「憤り」だった。

農薬や化学物質等を、それらが持つ環境への害を無知なまま使い続け、取り返しのつかない公害が起きてきたという話。

なんてバカというか愚かなことしてくれてんだ人間。という憤りが、自分を知らない少年の心に宿ったのでした。

そのときから、僕の心に現れた敵は、「身勝手な、向こう見ずな行動で、取り返しのつかない罪を犯すこと」だったのだ。

 

だけど僕も愚かな人間。 そんなことはすぐに忘れて、流されたり、優柔不断でフラフラしたり。

だけどだけど、思い出した。

「公害の歴史のように、将来やってくることがわかっている危機を、何もせず迎えてしまうのは許せない。なんとか貢献したい。」

と思ったのだった。

忘れていたけど(笑)

 

温暖化もそうね。なんとかしないといけないの分ってて、何もしない。 

遠すぎて関わろうともしない。 砂漠化と同じね。

 

だけどそれじゃだめだ。なんどもなんども奮い立たせて、

自分が一番嫌いな過ちを犯さないようにしないとな、と思う。

 

これを書きながら、他にも憤った思い出が出てきた・・・

力に変えよう。